ツアーその後


10年以上前になるが、つくばの広報誌にトルコから来ている一研究者が日本の感想を書いていた。「日本人はトルコについて驚くほど知識をもっていない。トルコといえば「トルコ風呂」しか、頭に浮かばないようだ。トルコにはそんないかがわしい風呂はない。素晴らしい観光地がたくさんありますから、どうぞトルコを訪れてください」というような内容だった。おっしゃる通りだと思ったがトルコについて知ろうとはしなかった。
今回のトルコツアーは、トルコを旅行したら手っ取り早くトルコのことがわかるかもしれない、と思ったからだ。「地球の歩き方」で、これから行く場所を探した。バムッカレ、チャナッカレ、カッパドキア、- - -どれも初めて目にする名前であった。
 このトルコツアーは私にとって見たもの、聞いたこと、全てが新鮮だった。私のようなトルコを知らない人に、少しでもトルコのことを伝えたと思った。この写真集(ホームページ)を何人かの友達とサークルの仲間にに挨拶代わりにメールで送った。札幌在住のM.M.さんからは「5年ほど前に、チャナッカレの大学で岡部さんが日本語の先生をして滞在していたので、日本の仲間を集めて、現地のツアー会社を利用して回ってきた。懐かしい。彼女の書いたトルコの本があるので送ってあげる」といって、「私のアンカラ日記」を送ってくださった。
著者は、30年前の1976年4月から1年間、地下資源調査のためトルコに赴任した夫と、一男二女と共にトルコに滞在した、高校の歴史教師である。送っていただいた本を私は一気に読み終えた。素晴らしい本だった。この本を書いてから30年後の今、トルコがどのように変わっているのか、著者に聞かせてもらいたい衝動に駆られた。巻末にはトルコ(小アジア)史年表があった。著者には、この本の「序」と「あとがき」と共に、ここに載せる許可を得た。この年表を見ると、この地がかつてのローマ帝国の地だったことがよくわる。

スキャナーで読み取って張り付けましたが、とても読みにくいことがわかりました。さしあたりこれで我慢してください。暇なとき、Photoshopで再度調節し直したいと思っています。

注:トルコ風呂については1984年12月19日に元トルコ留学生の抗議でソープランドと改名され、それから年月が経過したため、性風俗用語としての「トルコ風呂」の名は忘れ去られつつある。