アンタルヤの歴史
アンタルヤ県内の最も古い歴史は、20万年前に遡るもので、アンタルヤ市の30km北にあるカライン(Karain)洞窟で発掘されたものである。その他、新石器時代の遺跡も各地で発見されている。
アンタルヤ市西方にはリキアの遺跡が現在もなお多数存在し、アンタルヤの重要な歴史となっている。
リキアの他にもパンフィリア(Pamphilia)、リディア(Rydia)と言った小国が存在していたため他のアナトリアの歴史とは異なる独特の遺跡が多く残されている。
有名なアレキサンダー大王も紀元前334年から死去するまでこの地を征服するために戦い続けたが、どうしても手中に納める事ができなかったという頑強な要塞テルメッソス(Termessos)もアンタルヤに存在している。
エーゲ海からやって来たベルガマ(Bergama)の王アッタロス(Attalos)2世が紀元前150年にこの地にアッタライア(Attalaia)という都市を築き強靭なる海軍隊の基盤としした。
ベルガマ王国最後の王アッタロス3世が紀元前133年に死去した後、アンタルヤは他のアナトリアの歴史同様ローマ帝国やビザンチン帝国の支配下に置かれ、13世紀になるとセルジュク人、14世紀にはオスマントルコ帝国の一部となり、1923年のオスマントルコへの道をたどった。
温水器
エーゲ海沿岸、地中海沿岸だけでなく、内陸部のどこの家の屋根にも1軒に1台は温水器が付いている。都会の高層住宅にも設置されている。晴天が多く、燃料費が高い?ためか。
クルシュンヌの滝:
ハドリアヌス門:旧市街地の入口にある。130年にローマのハドリアヌス帝がこの町を統治した記念に建造された。
イヴリミナーレ:カレイチのランドマーク的な存在。高さ38メートルある。
いまにも崩れ落ちそう。こんな家にも人が住んでいる。