収容1万人の劇場。
オデオン(音楽堂)でもともとは屋根があった。

ヒエラポリス遺跡のすぐとなりに石灰棚がある。

 ヒエラポリス遺跡

バムッカレ (世界遺産)
石灰棚

アフロデイシアス

1〜2世紀ころの建造された建物が、良好な状態で保存されている。おびただしい量の遺跡があるが、発掘は進んでいない。エーゲ海に近い、観光客の多いところに発掘の重点がおかれているためである。現在も、アメリカ、ヨーロッパの大学が発掘を続けている


アフロデイシアス
博物館前の広場のライオン

本日は休館日だった。
博物館の周りにはたくさんの出土品が無造作に置かれていた
博物館の脇にある石棺。
テトラピオン

テトラピオンの後ろのこのお墓は、ここを発見した人のお墓です。彼はある日道に迷って、近くの家に立ち寄った。家の中には大理石のレリーフがあった。家の人に聞くと、こんな物はこの辺にたくさん落ちている、という。彼はここを発掘した。ここで眠りたいという、彼の遺言でテトラピオンの後ろにこのお墓が造られた。

競技場:1世紀か2世紀に造られたローマ式スタジアム。長さ262m、巾59mで3万人の観客を終了可能。競争、ボクシング、レスリングのほか動物を戦わせる闘技場としても使われていた。
タバコを吸っている人は誰?

 
ここは、大理石を削って神殿などを造る作業場だった。

バスの中から:この辺は土の下は石灰からなっていて、至る所に雪を思わせる石灰が表面に露出している。大理石は石灰の塊である。

ヒエラポリス遺跡を左右に見ながら進むと、石灰棚らしき物が近づいてきた。

 トルコは日本と同じ火山国で、あちらこちらに温泉が湧き出ている。ここでは、この地方の土の下にある石灰層が湯に溶けて地表に湧き出た後に、岩の上に石灰が再び結晶化して、このような不思議な白い岩を作り上げた。昔はお湯がとても豊富だったそうだが今は少なくなり、観光用に流量を制限しているという。
 ホテルには冬にもかかわらず、ドイツ人観光客がたくさんいた。ドイツからの観光客は1年中多いそうだ。第1次世界大戦後、ドイツの要請で6万人のトルコ人がドイツに渡った。ベルリンの壁が壊された後、東から西へ働きに来たドイツ人には働き口が無かった。彼らは、それをトルコ人のせいにして、トルコ人の家を燃やしたり、喧嘩したりした。トルコは人を送りたいと言ったのではない。ドイツが欲しいったのだ。今、ドイツに200万人のトルコ人がいる。家庭あって、子供がいて、子供はトルコ語が話せない。夏になると、たくさんのベンツ、トヨタがトルコを走る。これは、ドイツから里帰りしたトルコの人々である。
ドイツにいるトルコ人が、トルコを宣伝するので、ドイツ人の観光客が多いそうだ。
ちなみに、トルコには1年に6万人の日本人が来る。日本に行くトルコ人は1年に千人以下である。

ここでいう石灰とは炭酸カルシュームCaCO3のことで、大理石、貝殻、珊瑚、チョーク、入浴剤などのの主成分である。光学機器に使われる偏向子の方解石は純粋な炭酸カルシュームの単結晶のことである。畑で使ういわゆる石灰とは水酸化カルシュームCa(OH)2で、土をアルカリ性にする。

地下の石灰層がお湯に溶けて、地表で結晶化する化学反応のメカニズムについては
http://www.asahi-net.or.jp/~ue3t-cb/bbs/special/sience_of_hotspring/sience_of_hotspring_5-5-5.htm
に詳しく書かれています。 

トルコにはローマ時代の遺跡がたくさんある。ローマ帝国がどこの町にも平等に娯楽施設を作るよう指示したことによるそうだが、神殿、オデオン、競技場、その他もろもろ、すべては奴隷の手によるものであった。人口の半分は奴隷であった。