世界的に有名な短剣

軍事博物館

トプカプ宮殿

1. イスタンブール (世界遺産)

トプカプ宮殿

ブルーモスク (シュレイマニジャーミィ)

オスマン帝国が最も栄えた時代の君主シュレイマン大帝が作らせた寺院。1557年に完成した。
スルタンの旅立ちを前に、スルタンはモスクに金のミナレット(塔)を建てるように命じた。財政的にこれが無理な注文であると考えた建築監督は良く似た発音の金(Altin)と6(Alti)の紛らしさを利用して金の変わりに6本のミナレットを造った。
トルコにはおよそ3000のモスクががある(世界一)が、そのうち700はイスタンブールにある。スピーカーが無い時代、高い塔(ミナレット)の上から、大声で「ハサン」を歌って祈りの時間を知らせた。現在はミナレットは不用である。ミナレットが6本あるのはブルーモスクだけである。トルコではどんな小さい村にも必ずモスクがある。モスクを建てるのに政府は1銭もお金を出さないが、ホジャ(金曜日にモスクでためになるお話をする人)は公務員で、選ばれた人である。

アヤソフィイア博物館

ガラタ塔 

地下宮殿

ここは貯水池である。紀元4世紀コンタンチヌス帝により造られ、6世紀ユニチニアス帝により修復された。古代都市にこのような貯水槽が造られたのは包囲戦に備えるためであった。イスタンブルーにある貯水槽のなかでここは最大のものである。イスタンブルから19km郊外にあるベオグラードの森から引水されていた。

グランドバザール

イスティクラル通り

トプカプ宮殿は、三方をボスポラス海峡、マルマラ海、金角湾に囲まれた、旧市街の高い丘の上に建っている。「トプカプ」宮殿が最初に完成したのは1478年で、コンスタンチノーブルを攻め落とし、東ローマ帝国を滅亡させた(1453年)オスマントルコ帝国のスルタン、メフメット2世の時である。
ここはスルタンの住居と帝国の行政府をも兼ねていたため、その後、さまざまなスルタンが増築を重ねた。

「スルタンの宝物殿」

ここに収められている品々がオスマン帝国の手に渡った経路は、
(1)外国政府からスルタンへ献上された。
(2)宮廷工房の職人がつくった。
(3)政治家の死亡と共に宮殿に移った。
(4)占領地から掠奪した。

「厨房」(中国、トルコ、日本、ヨーロッパの陶磁器、クリスタル展示室)

展示品は中国陶器で占められているが、日本の陶器もあった。伊万里焼で、これらはヨーロッパ好みを重んじて作られたものである。

トルコーインド風王座

世界で3番目に大きいダイヤモンド

ターバン用の羽飾り

ダイヤモンドを散りばめたデザートセット

博物館はトプカプ宮殿とブルーモスクの間に建っている。西暦325年にコンスタンティヌス1世により建築が始まり、コンスタンティヌス2世の時代に完成した。
1453年にコンスタンティノーブルが陥落すると、メフメット2世により聖堂はジャーミに変えられ、モスクとして使われた。モザイクは漆喰で塗りつぶされた。
1931年、アメリカ人の調査隊によって、壁の中のモザイク画が発見され、ビザンツ時代の遺跡として脚光を浴び始める。初代大統領アタテュルクは翌年ここを博物館として一般公開することを決めた。

アヤソフィイア全景
アヤソフィイア内部

トプカプ宮殿の模型。占有面積は700,000uは、モナコ公国の約半分の広さに相当する。

円柱にはメドウーサの台座が2体ある。メドウーサは東ローマにとっては異教の恐ろしい慈悪なカリフに過ぎない。コステイアヌス帝はデイデイの神殿からメドウーサの首を切り落としてここに閉じ込めた。

今日の塔は、1384年にガラタ地区防衛の目的でキリストの塔(6世紀)の場所にジェノア移民が建てた。1446年に上階が増築され、塔は要塞化し、オスマン帝国時代には牢獄として、また火の見櫓として利用されてきた。

1975年に本来に近い形で屋根が造られた。海抜140mのバルコニーから360度イスタンブールの景色を見ることができる。

ガラタ塔から見たボスポラス海峡。

1959年建設の元陸軍学校。12〜20世紀までの品々(武器、鎧、兜、弓、矢、テント、トルコ独立戦争の記録、勲章、など)が展示されている。

博物館入口

金角湾には、敵の船が侵入できないように、クサリ(右の写真)が渡されていた。オスマントルコ軍がイスタンブールを征服した際には、クサリを避けて船の丘越を行った。

毎日午後3時からは、奥のホールで伝統征服にに身を包んだ軍楽隊の演奏がある。オスマン朝の時代に、出兵する兵士の士気を上げるために取り入れられていた。先生と一緒に小学生も大勢見に来ていた。

バザール入口

小さな店がたくさん集まった中近東ならではの市場。今は観光地と化している。
敷地200,000uに、5,000の店が巨大な迷路の様に入り組んだ狭い道の両側にひしめいている。多くは敷物、骨董品、金製品、銀製品、革製品の店である。

ボスポラス海峡クルーズ

ボスポラス海峡は南のマルマラ海と北の黒海とを結ぶ全長30kあまりの海峡で、イスタンブールを二つにわけ、西がヨーロッパに、東がアジアに属する。海峡の巾は広い所で3キロあまり、狭い所で7百m弱である。
ボスポラス大橋は1973年イギリスの企業により架けられた。この橋の入札には日本も参加したが価格がイギリスの2倍と高かったので、受け入れられなかった。イギリスの作ったこの橋は欠陥だらけで、完成翌年から修理を要し、修理費がかさんだ。今は重量制限が行われている。これに懲りて第2ボスポラス大橋(メフメット大橋)は額は2倍するが1988年日本の企業が落札した。この橋はこれまで一度も修理したことが無い。1998年のトルコ西部大地震をきっかけに2つの橋の耐震補強が日本企業の技術を高く評価するトルコ側の要請で円借款で行われた。さらに、地下をくぐる鉄道トンネルも日本の企業により進行中である。


ボスポラス海峡沿岸には美しい宮殿やモスクやコンスタンチノーブルを制圧したメフメット2世が築いた要塞などがひしめいている。。

トルコの銀座と言われている。高級な店が並んでいて、値段も高い。

イスティクラル通りの広場

クルーズの船

宮殿

要塞

モスク

1億円以上する別荘。

評判の良い第2ボスポラス大橋(日本企業による)。ダルタネス海峡に橋を作る計画がある。日本を選ぼうという話がある。

水道橋

336本の円柱に支えられている。

日本企業によるトンネル工事が進行中であった。2010年完成予定。