アクロポリス遺跡

アスクレピオン

アスクレピオン(Asklepieion)とは、医学神アスクレピウス(アポロンの息子)の神域で、大規模なサナトリウムの遺跡です。この遺跡は、BC4世紀にさかのぼるが、最盛期はローマの時代だったと言う。
遺跡の広々とした敷地は三方を回廊に囲まれている。回廊は当初イオニア様式の列柱で構成されていたが、2世紀の地震の後にコリント様式の柱頭で飾られるようになった。施設には、教育と娯楽、医者と患者のための図書館と3,500人収容の劇場が付属していた。
治療効果があると信じられた聖なる泉があり、その水は病院の地下にまで流されていた。
治療は、運動、投薬、薬草療法、蜂蜜療法、聖なる泉の水の飲用などが行われ、夢の分析を含む心理療法、松の林の中や泥の上を歩く療法、日光浴などが伝えられている。

 遺跡に入るとまず目にはいるのはトラヤヌス神殿である。アクロポリスの丘にはかつて、今はベルリンのペルガモン博物館にあるゼウス神殿(祭壇)が建ってたそうだ。
 ここはアレクサンドロス王国の一部であったが、アレクサンドロスの死(BC323)後、マケドニアの将軍たちは王国を分割支配した。ここペルガモンに自らの王国を作ったのが、トラキア総督リュシマコスで彼の死後、莫大な財産を管理していた副官のピラテロスがこの富でアッタロス王朝の基礎を築き、ペルガモンはヘレニズム文明の中心として発展し、アンティオキア、アレクサンドリアと並ぶ繁栄を謳歌した。
 ゼウスの祭壇と図書館がその繁栄を示している。 アレクサンドリアに世界最大の図書館を擁していたエジプトは、ペルガモンの図書館を脅威としてパピルスの輸出を禁止するが、ペルガモンは羊皮紙を開発して、世界最大の図書館を実現した。ペルガモン図書館は、アテナ神殿(これも跡形なし)の北隣りにあったと言われているが、その跡には今、石が転がっているだけだ。
 ゼウス神殿はベルリンに持ち去られて、わずかにそこにあったことを示すかのようにごく一部の遺構と思える石が残されている。こういうことになったきっかけは、1875年、ベルガマの道路建設に携わったドイツ人の1技師が、この丘の頂上には良い石がたくさんあると聞きつけたことに始まる。この技師は、考古学を勉強しながら調査にかかり、ペルガモン遺跡から多くの遺品を発掘した。これらの発掘品(ゼウス祭壇、アテナ神殿の門など)はすべてベルリンに持ち去られてペルガモン博物館の収蔵品となっている。トルコ政府は返還を求めている。
というわけで、丘の頂上に残されている遺跡は、わずかにトラヤヌス神殿のみです。

バスの窓から見たトルコ

温暖な乾燥地にはオリーヴが適しているそうだ。ヨーロッパで採れるオリーヴの半分はトルコで生産されている。(トルコは97%がアジアなのだが、オリーヴの話になるとヨーロッパに勘定される)

いたるところに建てかけの建物がある。トルコはインフレが激しいので、お金のある人はとりあえず、物に変えておくのだそうだ。

どんな小さい町にも、学校の無いところでも、モスクは必ずあるそうだ。モスクはみんなでお金を出し合って建てる。国は1銭も出さない。ミナーレ(塔)が1本の小さいモスクもあった。